BTS(防弾少年団)英語→日本語 翻訳の部屋

「防弾少年団」(BTS)が取り上げられた英語媒体の記事やニュースをファンが和訳して載せているブログ。翻訳には意訳部分も多くなりますのでご了承ください。

【和訳1/2】ザ・グレーテスト・ショーマン:BTSワールドの裏側を独占インタビュー

2019年3月28日に公開されたEntertainment Weeklyオンラインの記事(by Leah Greenblatt氏)の和訳記事です。2回に分けてUP予定で、こちらは前編です。

 

オリジナル記事はこちら↓ 

 

ew.com

 

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ザ・グレーテスト・ショーマン:BTSワールドの裏側を独占インタビュー

 

エレン・デジェネレスやジミー・ファロンの番組でスポットライトに照らされたソファにずらりと座り、ホストと他愛ない冗談を交わす彼らを見た人もいるだろう。でなければ去年9月の国連総会で、メンタルヘルスや自己愛について真剣に語る彼らの姿、もしくは2月のグラミー賞授賞式で大群のイルカのような高音の歓声に迎え入れられた彼らの、さまざまな色に染められたマカロンカラーの髪とピッタリと仕立てられたタキシード姿を見た人もいるはずだ。

もしかしたら、この雑誌で初めてBTSをまともに認識した人もいるかもしれない(奇怪なことがたくさん起こる2019年だから、ありえなくもない)。しかしこういう言い方はもはや避けられないのだが、BTSの7人はこの2年間、世界を席巻してきた。3ヶ月間という短期間で2つのアルバムをビルボードチャートNo.1に輝かせ、アップルミュージックとSpotifyという音楽配信サービスで合計50億回数もの再生回数を達成し、LAのステープルセンターからロンドンの名高いウェンブリースタジアムまで、数々のコンサートのチケットを完売させてきたグループなのだ。

一世を風靡したボーイバンドは彼らの前にも存在したが、メンバー全員が韓国で生まれ育ち、歌のほとんどが韓国語で歌われているという事実に、これまでとは違う全く新しいものを感じざるを得ない。強硬主義やナショナリズムの傾向を背景に既存の地政学が意味を失いつつある現代にあっても、ポップミュージックが壁や垣根を越えて受け入れられることで、これまでにない「世界通貨」が実現することを証明している。

6つ目のアルバム"Map of the Soul: Persona"の発売から5週間前の、よく晴れた3月のある日のこと。BTSのメンバーは彼らの所属レコードレーベルであるBig Hit Entertainmentの事務所にいた。K-popと呼ばれる現象のさまざまなマジックが誕生した現場である建物なわけだが、ビッグヒットの本社は江南の比較的静かな地域にあり(そう、Psyが2012年の大ヒット曲『カンナムスタイル』で歌ったあの江南である)、他の企業ビルと見た目は変わりなかった。滑らかなコンクリート製の廊下とガラス張りの会議室。会議室には中身が充実したミニ冷蔵庫やぬいぐるみ、ビーンバッグチェアなどが備えられていた。一体ここが何の会社なのかのヒントといえば、驚異的なセールス記録を祝う額縁や彫像が並べられた展示棚と、去年10月のNYシティ・フィールド公演でのメンバーが大きくプリントアウトされたつやつやと輝く写真だけだった。


長いホールを下ると、7人のメンバーがくつろぎながらもそれぞれの準備をしていた。彼らは直接授賞式に参加できないiHeartRadioアワードのThank youビデオを前撮りするところだった。デニムとネオンカラーのストリートウェアがコーディネートされて所狭しと並べられた衣装部屋で、ぷっくりした唇を持つジミンは、金色にブリーチされた髪に注意深くアイロンを当ててもらっていた。部屋の隅には新品のNikeやConverseが何十足も積み上げられている。ストロベリーアイスクリーム色をした人口毛皮のジャケットが1枚、まるで放っておかれたフラグル(アメリカの人形劇のキャラクター)のように、彼の背後のハンガーから無造作にぶら下がっていた。

 
グループの最年少メンバーである21歳のジョングクは、ダンススタジオの折りたたみ椅子におとなしく座り、同じく髪の毛をセットしてもらっている。『シンプソンズ』のキャラクター、バート・シンプソンズが大きく印刷された白いシャツを着たJ-Hopeが通りかかり、ニッコリ笑って消えていった。SUGAとVとジンは隣の部屋でローソファに身を寄せ合い、スマホをスクロールしながらKhalidの"My Bad"の一節を時々口ずさんでいる。最後にやってきたのは、BTSの事実上のリーダーで英語が堪能な唯一のメンバーである24歳のRMだ。

 

彼らはカメラクルーの前でリハをした後、ディレクターが満足するまでコメントのテイクを4,5回行った。その後、上階の風通しのいい休憩室に移動して私たちの会話が始まった。人懐こい顔をした禿げ頭の巨大な男性も同席。彼の名はジョン、BTSの通訳を長年つとめている男性だ。(本文中のRM以外のメンバーの発言は、基本的にすべてジョンの通訳を介したものである。)初のグラミー賞授賞式から帰国して数週間経っていたが、メンバーはまだその経験に興奮気味の様子だった。ベストR&BアルバムでH.E.R.にアワードを手渡したこと、トイレでショーン・メンデスとおしゃべりしたことなど…。「僕、自己紹介したほうがいいのかな?とか考えちゃって」とジミンはその時のことを思い返す。「そしたらショーンが最初に挨拶してくれたんです。すごくいい人でした。」また、彼らの座席がドリー・パートンからクッション1つ分の距離しかなかったことも。(「本当に僕たちのすぐ前だったんです!」とジョングクは改めて感嘆した。「アメージング」。)

セレブリティとの接触を夢見心地に振り返るBTSだが、生身のBTSと会うことも同様に、決して不快ではないが現実味のない、クラクラするような感覚があった。スクリーン上の彼らは見ているこちらが不安になるほど綺麗で、まるで毛穴ひとつないアバターのような、スナップチャットのフィルターの中の住民のような、性別を超越した美しさがある。実際に会う彼らは、もちろん呆れるぐらいハンサムではあるが、もう少し少年ぽくて親近感が持てる。くしゃくしゃの前髪だったり、ちょっぴりひび割れた唇だったり、小さな(本当にごく小さな)肌荒れだったり。バレンシアガのトップスやさりげなくCを重ねたシャネルのジュエリーの存在を脇におけば、まるでカフェや電車ですぐ隣に座っている男子大学生のようにも見えた。

 

しかし、公共の交通機関に乗ったりスターバックスにふらりと立ち寄ったりすることは、ずいぶん前に彼らの選択肢から消えた。ソウルではメイク用品店、道路の看板、バスの側面にまで彼らの顔写真が貼られているし、愛するメンバーの誕生日をお祝いするファンが個人でお金を出し、巨大なデジタル看板にメンバーの顔が映し出されることさえある。サンパウロ、東京、パリなどの大都市で、コンサートやイベントの出番を待つファンが何日も前から徹夜で並びながら、メンバーの目撃情報やささいな情報をせっせと交わしている。BTSが投稿したDrakeの #InMyFeelingsChallenge のツイートは2018年もっともいいねされたものとなり、Mattel社はBTSの公式ドールを今夏にリリース予定だ。

 
こんな奇妙なほどの熱狂的人気の渦の真ん中にいながら、彼らはほんのすこしの「普通の時間」を手に入れようとしてきた。ジミンはシカゴ滞在中に誰にも見つからずにホテルから外に出た時のことを話してくれた。「深夜に、外の空気を吸いたくて。」でもジミンが認めるように、少人数に分かれて行動しない限りホテルから出るのはほとんどの場合「ありえません」。RMは白銀色の前髪を指で撫でながら笑ってつけ加える。「だって、僕たちを見てくださいよ。髪の毛を染めた7人組。ちょっと目立ちすぎますよね」。

その代わり、彼らはできることをやっている。映画館に繰り出したり(「誰にも見られず行くとしたら一番遅い回か最初の回のどちらかです」とRMは話す)、オンラインショッピングをしたり(Vは特にeBayで洋服を買うのが大好きなのだそう)、釣りにいったり、家でStarCraft(オンラインゲーム)をしたり。K-popスターにとって共同生活は普通のことで、BTSも安定した共同生活に満足している様子だ。「もうずっと一緒に暮らしてきました。もうすぐ8年、いや9年かな」とジミン。「最初は喧嘩や対立がいっぱいあったんです。でも今はお互いの顔を見て表情を読み取るだけで、言葉を使わなくても意思疎通できるぐらいになりました。」


インタビュー中も常に丁寧で気配りのある彼らだが、7人が集まるとちょっとしたカオスが生まれる。ふざけて肩を押したり、背中を軽く叩いたり、複雑な動きの握手をしてみたり、まるで子犬たちがわちゃわちゃと動き回っているかのようだ。しかし静かな時間に彼らが見せる、お互いに対する愛情のこもった優しさには驚くべきものがある。彼らは質問が投げかけられたとき、一人一人の考えがしっかりインタビュアーに聞き届けられるように努める。そして言いたいことがうまく言えずに困っている仲間がいればすぐに手を差し伸べて、膝を叩いたり肩を抱く。

話をする相手がアメリカ人記者であるという言葉の壁があっても、彼らの個性はすぐにはっきりと浮き上がってきた。初めて夢中になったポップソングを聞かれた彼らの反応は七人七様だった。「The Pussycat Dollsが好きでした。Stickwitu!」と、グループ随一のダンスの実力の持ち主J-Hopeが、指を鳴らして歌いながら答えた。ソウルのアンダーグラウンドのラップシーンでそのキャリアをスタートさせたRMの答えは、Eminemの"Lose Yourself"。(「他にもこの曲を選ぶ人が世界中にいると想います。でも初めて映画『8 マイル』を観てあのギターを聞いたときのことが忘れられないんです。僕のターニングポイントでした」。)一方、ジャスティン・ビーバーやトロイ・シヴァンの曲のカバーもリリースしているジョングクは、リチャード・マークスの不滅のバラード『Now and Forever』と答えた。

 

穏やかな口調のSUGAはジョン・レノンの『Imagine』を挙げて、「僕が恋に落ちた初めての曲です」と語った。これが話題が出たことを好機と捉え、ビートルズが創始者ともいえる「熱狂的人気グループ」という音楽の殿堂の中で、自分たちがどんな立ち位置にいると考えているのか聞いてみた。「僕たちのことを21世紀のビートルズだと言ってくれているのを聞くと、すごく恥ずかしくなることがあります」とRMは告白した。「でも周りがボーイバンドと呼びたければ僕たちはボーイバンドだし、ボーイグループというならば僕たちはボーイグループで、K-popと呼びたければK-popでかまわないんです」

ああ、K-pop。韓国ではこのジャンルは単なる文化的必需品ではなく、何十億ドル規模の輸出産業である。その輸出産業のプレイヤーである「アイドル」は、歌やダンスや対メディアトレーニングという訓練を何年にもわたって受けた後、ようやくスポットライトを浴びることができる。そしてその努力は報われたと言える。K-pop関連産業は1990年当初以降どんどん拡大していき、少女時代やG-Dragonなどのアイドルはアジア、ヨーロッパ、アメリカの多様なマーケットを横断して活躍した。一方、K-popのサウンドはかなりパターン化していた。クラブ系ビートとハイーパースイートな歌声に西洋のヒップホップとR&Bのアーバン要素を足して抜け目なくミックスしたようなサウンド。BTSが起こした稲妻のようなインパクトを引き起こすことはなかった。


(つづく)


↓後編の和訳はこちらです↓

www.bts-jpntrans.net

 

<参考までに関連動画を貼っておきます>